引揚援護◎命がけの引揚
- 引揚げ港・博多を考える集い
- 2020年1月28日
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更新日:2020年12月25日
博多港と「引揚援護」
第二次世界大戦直後の混乱期、多い時には一日約一万人の邦人引揚者を焼野原の博多で迎えることは、多くの困難が伴いました。
引揚者の受入れ業務は厚生省博多引揚援護局が行いましたが、中にはコレラ・チフスなどの伝染病にかかった患者、他国を移動中に両親を亡くした孤児、婦人科の相談・治療が必要な女性など、状況に応じた援護が必要でした。
そのため、寺院・病院・民間団体などによって、引揚者の収容施設・療養施設・孤児施設などが設けられ、博多港の引揚を支えました。 "
高杉志緒、『[九州アーカイブズB]あれから七十年』、図書出版のぶ工房、2017年
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