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世話人会報告 2021年3月31日

1、前回世話人会(2月11日)以後の報告 2月11日 世話人会 松崎、江上、盛多、上村、櫛橋、中村(初)、滝口(初)、堀田 【傍聴】小林(西日本)、後田(読売 2月19日 古見保子さん(千葉県松戸市、満州引揚げ)から体験記「父の生きた記録」頂く...

 世話人会報告 2021年2月11日

1、 前世話人会(11月27日)以後の報告 11月27日 世話人会 江上、倉地、富永、盛多、上村、遠藤、櫛橋、堀田 28日 ホームページ運用開始・・27日の世話人会の報告アップ ホームページアドレス  http://hakatahikiage.wixsite.com/-si...

福岡に歴史を伝える平和資料館の創設を

1、引揚資料館設置の取り組み ― 「引揚げ港・博多を考える集い」の28年間 最初に「引揚港・博多を考える集い」の紹介とこれまでの取り組みの経緯について紹介させていただきます。 1945年8月の敗戦時の日本の人口は約7千200万人ですが、そのほぼ1割に相当する700万人がアジ...

世話人会報告 2020.11.27

1、 前世話人会(10月16日)以後の報告 10月16日 世話人会 21日 直方市の小野晴郷さんと碓井平和資料館の青山英子さん来訪、「戦後50年引揚を憶う」(1992年5月)収録の体験記をCDに記録して引揚げの朗読会で活用したい、82歳の女性にお願いした。...

引揚援護◎命がけの引揚

博多港と「引揚援護」 第二次世界大戦直後の混乱期、多い時には一日約一万人の邦人引揚者を焼野原の博多で迎えることは、多くの困難が伴いました。 引揚者の受入れ業務は厚生省博多引揚援護局が行いましたが、中にはコレラ・チフスなどの伝染病にかかった患者、他国を移動中に両親を亡くした孤...

送出 ◎博多港から海外へ

外国人帰国者 母国への送出 昭和二十年(一九四五)の終戦から厚生省博多港引揚援護局が閉局する約一年五ヵ月の間に、合計五〇五’四九六人の外国人帰国者が博多港から送り出されました。 主要な目的地は、朝鮮半島四九四’八一九人、中国九’七二四人、台湾九五三人で、朝鮮半島へ出発した人...

引揚・復員◎海外から博多港へ

六六〇万人の海外邦人 昭和二十年(一九四五)八月十五日、第二次世界大戦が終わった時、約六六〇万人の日本人が海外にいました。その内訳は、戦争に直接従事した軍人・軍属が約三三〇万人、一般の人々が約三三〇万人とされています。 軍人・軍属が日本にもどり、その役を解かれる「復員」は、...

はじめに◎海外で暮らした日本人たち

1-1 日本の海外侵出 日本は明治時代(一九六八〜一九一二年)以降、国際的な戦争を行ってきました。日清戦争に明治二十七年(一八九四)、日露戦争に明治三十七年(一九〇四)、第一次世界大戦(シベリア出兵)に大正三年(一九一四)参加しました。そして海外に「台湾総督府」を明治二十八...

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