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送出 ◎博多港から海外へ

  • 引揚げ港・博多を考える集い
  • 2020年1月28日
  • 読了時間: 1分

外国人帰国者 母国への送出

 昭和二十年(一九四五)の終戦から厚生省博多港引揚援護局が閉局する約一年五ヵ月の間に、合計五〇五’四九六人の外国人帰国者が博多港から送り出されました。

 主要な目的地は、朝鮮半島四九四’八一九人、中国九’七二四人、台湾九五三人で、朝鮮半島へ出発した人が九八%を占めました。その背景には、明治時代以降、日本の朝鮮半島・中国大陸への侵出・昭和十二年(一九三七)に始まった日中戦争の長期化がありました。

 日本における労働力不足が問題となり、多くの人々が朝鮮半島から日本に強制連行された結果、昭和二十年(一九四五)、終戦時、日本にいた朝鮮半島の人々は、二〇〇万人とも二五〇万人とも推定されています。

 福岡県だけをみても当時、炭鉱で労働していた約七〇%が 朝鮮半島から来た人々だったといいます。昭和二十五年(一九五〇)までに朝鮮半島に 帰国したのは約一〇〇万人ですから、約半数の人々が博多港から帰国したことになるのです。


高杉志緒、『[九州アーカイブズB]あれから七十年』、図書出版のぶ工房、2017年



 
 
 

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